槌田 劭著

『共生共貧・21世紀を生きる道』
―大地に根ざし もっとゆっくり もっと小さく―

四六判上製・240頁 定価1800円+税
もっと早く、もっと大きく、と暴走する科学技術は、必ずや地球の限界、人間の限界に激突するであろう。
―30年前、その確信に立った著者は、科学への道を敢然と捨て、「使い捨て時代を考える会」を立ち上げた。以来、生命自然の掟「共生共貧」にのっとり、大地に根ざした暮らしの知恵を学びながら、21世紀を生き抜く道を模索する。
■大地に足をつけて
いのちの糧である農産物が国際的な投機市場で貿易取引の材料とされることの恐ろしさは飢える事態に直面するまでは理解されぬのであろうか。独善と利権とによって争いが争いを呼び、21世紀に滅びへの暴走を拡げるのだろうか。まじめな若い学生たちと話をすると、そのいらだちはひしひしと感じられる。いらだってみても仕方がない。絶望してみつつ、身の回りの生活から大地に足をつけて、できることを着実に積み重ねるしかない。いらだつ焦りは混乱と争いを拡大するだけである。
                         (著者「あとがき」より)


「共生共貧」で暮らそう(朝日新聞2004年4月2日夕刊)
「使い捨て時代を考える会」槌田さんに聞く
資源浪費型の現代文明を問い直す活動を続けてきた「使い捨て時代を考える会」が設立から30年を超えた。身近な生活から見直そうと、有機農産物の共同購入や、廃品のリサイクルなどに取り組んできた。牛海綿状脳症(BSE)や鳥インフルエンザなど食の危機が叫ばれる中、会の提起した問題は今もなお新しい。設立当初から中心となってきた代表の槌田劭さんに聞いた。

会の設立は73年だった。高度成長に世は浮かれ、「消費は美徳」と言われる一方で、公害が深刻化していたころだ。
 槌田さんは当時、金属物理学専攻の京都大学工学部教授。「どこかおかしい。限りある地下資源を浪費し、大量生産、大量消費に突き進む興業文明は、いずれ行き詰まる」と疑念を募らせていた。まずはできることからと、自らリヤカーを引いて、古紙回収を始めた。直後にオイルショックが起きた。疑念は確信に変わった。
 便利さに流され、モノを使い捨てる浮き草のような生活から大地に根差した循環型の生活へ。関心は「食」と「農」にも向かった。
「初めて農家の人たちと知り合い、麹(こうじ)を育てることから味噌造りを教えてもらいました。よい麹の発酵熟成には時間と手間がかかる。麹の身になって、待つことが大切。それを現代文明は効率をのみ重視し、強引に促成醸造する。そんな自分の都合を押し付けて、無理を通そうという姿勢が、公害問題や、草食動物の牛に肉骨粉を与えてBSEを引き起こしたことにも通じている」
 学生を工業文明の担い手に育てることに疑問を覚えて京大を辞職。京都精華大で生活環境論を教える一方、農家と消費者のネットワークを作り、有機農業・無農薬栽培に取り組んだ。出資金を農家に無利子で貸し付け、米や野菜、卵などを共同購入。会員は農作業を手伝い、風土に合った安全な農産品造りを学んできた。
 「経済の論理が、食料輸入の拡大と飽食の時代を招いた。生産者と消費者は遠ざけられ、互いに顔が見えなくなってしまった。お金の論理が、農家に農薬を使わなければやっていけない現実を強いてきた。その責任は我々消費者にもある。だから、一緒に考え、安心して生活できる道を紡ぎ出しましょうということです」
 今では会員約1600人。生産地との交流学習会や、手造り味噌、野草料理などの講習会を定期的に開くほか、牛乳パック回収などのリサイクルも続けている。
 「身近なところから生き方を変え、つましい生活を」が会のモットーだ。槌田さん自身、朝食は野菜ジュース、昼と夜は玄米に野菜、豆類、小魚、海藻の小食を通している。たびたび断食を経験し、生きるのに必要最低限の食事量を身をもって確かめてきた。
 「人類の歴史は飢えとともにあった。小食で生き抜くたくましい力が元々備わっているんですよ」
 槌田さんが提唱するのは「共生共貧」という暮らし方だ。
 自然界では、与えられた条件の下で多種類の生物が、生存の可能性を分かち合いバランスを保っている。特定の種が大繁殖することはなく、多種多様な生物がつつましやかながら持続的に生存している。「限られた自然条件の中では、共生共栄は無理。滅びることがない代わりに、栄えることもない共生共貧こそが自然の掟なんです。同様に限られた資源の中で60億の人間が生きるには、譲り合い、分かち合うしかない。つましく暮らし、助け合う。それが、幸せにつながるのでは」
 このごろは、スローライフがもてはやされ、省エネやリサイクル、環境保護は常識になったかに見える。しかし、廃棄物やごみ問題は年々深刻化し、食料自給率は低下し続けている。
 「この30年間、身の回りの小さなこと1つひとつに取り組み、生き方を変えてきた。お陰で、いろんな人に出会い、少なくとも私は幸せになった。自分が変われば、周りに影響を与え、あらゆることが変わる可能性が生まれる。要はできることを着実に積み重ねること。あきらめてはいません」


○低水準で生存の糧を分かち合う以外に、人類全体が生き延びる道はない
            (2004年1月21日 京都新聞凡語より)

よく使われる「共生の時代」という言葉を、社会や人間の営みの意味を込めて使い始めたのは槌田劭さんだ。30年前、設立した「使い捨て時代を考える会」の草創期に大阪府河南町のミカン園に出かけた。無農薬栽培を目指す農家から「天敵を入れて害虫を防ぐ」「ミカン以外の木もないと斜面が崩れる」などを学び、この言葉が頭に浮かんだという。
 植え替えも、一斉にせず古い木を遺すことが大切と教えられた。一種類だけ栄えさせようとしても失敗する。多種類の共存で初めて互いがいい関係になる。そんな生物の関係を、社会問題につないで新しい時代のキーワードに、と考えたという。
 その槌田さんが近年「共生共貧」という言葉をよく使う。これも生物学用語だが、「多種類の生物が生存の可能性を分かち合い、慎ましやかにバランスを保つ」関係をさすようだ。
 「共生という言葉が、共存共栄のように受け取られている。そんな甘いものでない。低水準で生存の糧を分かち合う以外に、人類全体が生き延びる道はない」と語る槌田さんの思いは『共生共貧・21世紀を生きる道』に詳しい。
 断食体験も20年を越す。
 1億2千万人の国民が生き延びるにはどれだけの米や野菜が必要かの考察もその延長線上にある。人間の生命力に対する自信も断食で得た。自信を実験台に活動的な毎日が続く。


○乏しさを分かち合う喜び  (月間『むすぶ』2004年5月号より)

 「共生」という言葉を見聞きするようになって久しいが、槌田氏は、自然界で多種類の生物たちがバランスをとって生きていくためには、「共生共栄は無理であって共生共貧なのである」と説く。それが「自然の掟」であり、人間だけが繁栄してきた結果が環境破壊につながっているという。
 取材の中で槌田氏は「(多様な生物が)生き続ける可能性があるとすれば、乏しさを分かち合うしかない。争ったら、失うことはさらに大きくなるけれども、新しく可能性を生み出すことはできない。だから、みんなつつましく、与えられた現実を感謝して受け入れていくしかない。その譲り合う世界の先に希望があるだろう。譲り合うためには、暮らしの知恵、生きるということに対する自信が必要」と語った。
 食や農についての考察も多く、スローフードやスローライフのブームについては、「日本の風土と生活文化への自信に裏付けられない、外来思想や海外文化への卑屈さが見え隠れする」と手厳しい。


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○共生の時代―使い捨て時代を超えて―
○破滅にいたる工業的くらし
○未来へつなぐ農的くらし
○脱原発・共生への道
○自立と共生―地球時代を生きる―
○未来へ生きる食を求めて―わが家の食卓12ヶ月―

〈著者紹介 槌田 劭(つちだ たかし)

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