上田幸子著/切り絵・上田豊治

『こんにちは、上田豊治です。』
   
        四六判上製・256ページ 定価1800円+税

 切り絵画家・上田豊治さんは、三歳の時“自閉症”と診断された。言葉少なく、多動で、固執性が強く、対人関係が持てない豊治さんを大きく包み込んだ家族や教師たちの強い絆は、豊治さんの切り絵の才能を見事に開花させた!
 本書は、共に生き、共に歩み、共に学んだ、母と子の三十年間のドキュメントである。


             (おしくらごう/上田豊治作)

自閉症だからできる!★

 「豊治くんはいいわねえ。できることがあって、有名になって、もう自閉症は治ったのじゃないの」と、よく言われます。「自閉症だからできるのよ」私は心の中で言います。
 自閉症は治りません。小さい頃、できないことを無理やりやらせようとして何度も失敗しました。それより“一つでもその子のできることを見つけて、できないことが見えなくなる生き方”の方が、その子も楽しく生きられる、と思いました。几帳面でこだわる豊治の性格が、よい方向に向いたとき、“切り絵”となって生かされた時、それは個性として花開いたのではないでしょうか。(著者・本文より)


○「こんにちは上田豊治です。」を読んで

 巻頭詩でいきなりぐっときてしまいました。

「 豊くんへ

 私の人生を私が計画してたより
 とても狂わせてくれて
 ありがとう

 二度と歩きたくないけれど
 くりかえしたくないけれど
 二人でしっかり歩いてこれたね

 あなたがいなければ
 私はこんなに立派な人生を
 歩けなかったわ

 豊くん、お母さんを支えてくれて
 ありがとう

 そして、これからも
 どうぞ よろしくね   」

 その、豊治さんの切り絵、どれを見てもとてもすばらしく、障害という範疇をはるかに超えた、あるいは“自閉症”という特異な文化を持つゆえなのか・・、ほんとに精緻で、それでいてダイナミックな切り絵です。

 ただ同じ障害児を持つ親として思うこと。それはこんな素晴らしい才能を持つ豊治さんでさえ、一般就労した自動車整備工場では、その障害ゆえの不適切行動により挫折を味わってしまった・・という現実の苛酷さです。
 やはり自閉症という障害、才能・能力は別として性根を据えてつきあっていかければならない相手のようです。

 それともう一つ、豊治さんの天賦の才能、それは間違いのない事実ですが、それを開花させることができたのは、お母さんのたゆまぬ努力、それに回りの理解者の応援があったからでしょう。
 他傷行為など、きれいごとですまない思いをかかえながら、真剣に我が子と向き合っていくこと、その大切さを教わりました。
 では印象に残ったお母さんの言葉です。

「悩んでも一生、苦しんでも一生。同じ人生なら、明るく楽しく生きたい。この日、この時、この出会いを大切に生きたい」

「一人では何もできないけれど、まず一人からやってみなければ、何も生まれない」

幸いにも、私達にはもう出会った仲間と、応援してくれる方々がいます。
もう一人ではありません。みんなで、我が子と、我が子の明日を信じて、明るく楽しく、前向きに頑張っていきましょう。

(「岡山県自閉症時を育てる会・会報 13号(1999.5)」より)


トロントを訪れた自閉症の切り絵画家
-上田豊治さんの母、幸子さんが語る33年間のドキュメント-

 10月下旬、トロントで開催された「自閉症世界シンポジウム」に日本から招待された切り絵画家、上田豊治さん(33)は10月28日、日系文化会館を訪れ、作品の展示、切り絵の実演、母親の幸子さんのお話があり、地元在住者との交流のひとときを持った。会場には沢山の人がつめかけ、椅子が足りなくなるほど。豊治さんの新作「ナイアガラの滝」の実演を間近に見た多くの人々からは、感動と賞賛の声が上がった。以下は幸子さんの講演内容から。

○切り絵の原点
 豊治は3歳の頃、自閉症だと診断されました。多動、偏食、言葉の遅れ、こだわり、意思が通じないと起こすパニック・・・私はいつも豊治の手をつないでいました。そうしないと、すぐに飛び出して、勝手に遠くへ行ってしまうのです。手をつないでいないときは、自転車に乗せて萩の町をあちこち回りました。

 私が洋裁をしているそばで、はさみと紙を豊治に持たせていれば、彼はおとなしくしていました。紙を切ることが大好きで、私が切りかけていた洋裁の型紙を目を離したすきに、続きを切ったこともあります。

 ある日、交通標識が載っていた手帳から、標識だけをきれいに切り抜き、それを1本の割り箸に貼りつけました。標識の大きさは直径1センチに満たない小さな印刷です。それを32個全部切り取って、割り箸の一番下は手で持てるように残して、裏側にも貼りました。裁縫用の糸きりばさみを使って、こんなに小さな標識を切り抜き、しかも驚いたことに、切ったあとの紙はすべてつながったままなんですよ。彼が3歳のときの、切り絵の原点だと言える作品です。

○手が器用
 萩市立小学校の指導学級に入学した豊治の手を引いて、2年間は毎日一緒に通学しました。8人の生徒がいる学級で、私はこの子たちのお母さんになろう、という気持ちで、2年間はずっと学校にいて、先生のお手伝いをしました。

 担任の先生は、毎日の日記指導で、豊治の手を持って字を書かせようとしました。最初の頃は先生の手に噛み付いて、いやがっていたのですが、先生との信頼関係ができると、豊治はいろいろなことが、どんどんできるようになりました。

 日記の中で初めて人物を描いたことがきっかけで、絵の指導を先生から受け、豊治は絵を描き始めました。そして、だんだん上手に描けるようになり、展覧会で賞をもらうほどになったのです。

 中学の指導学級に入学後は、各教科によって先生が変わるという環境の変化のためか、豊治はよく保健室に逃げ込んでいました。言葉の伝達の下手な豊治をわかっていただくために、私は先生との連絡帳を書き続けました。

 小さい頃から手が器用で、描くこと、切ること、組み立てることが大好きな豊治は工作が得意で、彼が夏休みに作ったクラシックカーやクレーン車は、萩市科学展で連続入賞しました。

 多動な豊治は、家を飛び出してはポンコツ置き場で車を眺めていることがよくありました。車が大好きなのです。また、車やオートバイのプラモデル作りが好きだったので「豊くんのプラモデル展」を市民会館で開催し、たくさんの方が見に来てくださいました。

○好きなことを……
 高校3年のとき、美術の先生が豊治に切り絵を教えてくださいました。有名な滝平二郎さんの切り絵を模写したのが、作品第一号です。

 それから2年生のときに描いた「ミシンを踏むお母さん」の絵を切り絵にしました。洋裁をする後姿の私の特徴をうまくとらえ、とてもよく似ています。

 高校を卒業した豊治は、板金塗装工場へ就職し、晴れて社会人としての第一歩を踏み出しました。小さい頃から車に興味があり、プラモデルが大好きな彼は仕事をとても気に入り、喜んで工場で働く毎日でした。

 しかし、豊治のていねいすぎる仕事ぶりは時間がかかり、しなくてもよいところまで仕上げたり、職場の人とのコミュニケーションや人間関係にも問題がありました。彼は汗と油にまみれたつなぎを着て、板金塗装の仕事をいっしょうけんめいにやっていましたが、もし私が亡くなった将来のことを考えると、豊治が好きなことで生き生きと仕事をするようにさせたい、と思いました。

 高校の卒業式の日、美術の先生から「切り絵を続けさせてあげてくださいね」という言葉が、ずっとその後も頭の中に残っていました。

 豊治には「2年間仕事をしたのだから、こんどは絵の勉強をしようね」と説得しました。本人は工場を辞めるつもりはなかったのですが。

○「カナダへ行きたい」
 その後、萩での「三人展」が成功し、豊治は本格的に切り絵に取り組むようになりました。個展を開いたり、いろいろな賞をいただいたり、几帳面でこだわる彼の性格が「切り絵」となって生かされ、花開いたんだと思います。

 初めての海外旅行が、カナダだったのも不思議な人との縁を感じます。東京・日本橋三越で個展を催していたときに、テレビのインタビューで豊治が「カナダへ行きたい」と答えたのを、今回、日系文化会館で私のスピーチの通訳をしてくださった遠山旬さん(バーリントン在住)のお母様が、たまたまテレビをご覧になり、すぐに三越の個展会場へ来てくださったのです。

 その場で「私の娘はカナダにいて、孫が自閉症なんです」と言って、豊治の画集を買ってくださいました。その本をカナダに送り、旬さんが自閉症センターに本を持参して紹介してくださったことがきっかけで、トロントの自閉症世界シンポジウムに招待されたのです。

 海外へ荷(切り絵)を送るのは大変でした。でも、豊治を励ます会の人たちと5人で来て、たいへん良い旅ができました。

 シンポジウムの会場では、切り絵を展示し、豊治が実演するまわりは、黒山の人だかりでした。自閉症をかかえる多くの人々と出会い、暖かい人たちと抱き合って、まだその感触が残っているんですよ。もう、お金では買えないような素晴らしい経験でした。

○人とのつながり
 切り絵の制作は、下絵をおこすところから始まります。豊治は白いトレーシングペーパーにシャープペンシルで、下絵を描いていきます。画家の中には太い筆ペンのようなもので、1本の線で下絵をおこす人もいますが、豊治の場合は切るための2本の線を緻密に描いていくのです。

 写真を見ることもありますが、ほとんどは記憶している情景です。写真なら写っていないところや、影の部分がありますよね。豊治の絵はそんな細かい部分もすべて描きます。

 それから黒い紙の上にトレーシングペーパーを重ねて、カッターで切り込んでいきます。ひとつの作品を仕上げるのに、何ヶ月もかかります。出来上がると、豊治は、白と黒の重なったままの絵を私に渡してくれます。

 一番最初に完成した切り絵を見るのは、私なんですよ。いつも感嘆の声をあげながら、そーっと下絵をはがし、そのぬけがらを丁寧にのばして、私はとっておくんです。ぬけがらは、切り絵を産む母のように思えてなりません。

 豊治の切り絵は、すべてつながっていて、ひとつも切り離れていません。人と人との縁も見えない糸でずーっとつながっているように思います。切り絵は人との出会いのようです。

 今回のカナダ訪問で、豊治の切り絵の世界、そして人とのつながりが、新しく広がっていくといいなあと思っています。 

(「日加タイムス」2002年11月15日号 より)
(志摩夕美さんのHP「志摩夕美のおもしろカナダライフ」より転載させて頂きました)


素晴らしい出会いに感謝
日野皓正さんのコンサートで、上田さん親子のことを熱く語られているのを聞いて、初めて上田豊治さんという切り絵画家を知りました。自閉症が今ほど知られていない頃から、子供を守りながら大切に育てて来られたこと、深い愛情と温もりが伝わってきて、緻密で繊細な彼の作品の表現しているものが、人に感動を与えるのでしょう。これからも母親として見習い多くのことを学ばせていただきながら、豊治さんのファンとして、より素晴らしい作品づくりを応援したいと思います。ぜひ、沢山の方に読んでいただきたい本です。
(tsaraさん/amazonレビューより)

○何度も涙ぐみ……
親子、多くの人々の愛情がにじみ出て感動の連続でした。
現代社会において、すべて子育てがこの豊治くんの母上のようであったら、どんなに素晴らしい社会になるかと……。
感謝の大切さも学べました。万人に読んでいただきたいと思います。
何度も涙ぐみ……
(東京都・藤本さん/愛読者カードより)

○この本を読んで元気になる人がいる
感動の連続で読み終えました。お母さんがつたない文章と言われていましたが、それがいいんです。全国にこの本を読んで元気になる人がいると……信じています。
(愛媛県・鈴木さん/愛読者カードより)

○お母様の努力には頭が下がります
豊治君の切り絵はとても素晴らしいと思います。神様は豊治君の頭の中に世界一の脳をお作りになられたのでしょうえ。お母様の努力には頭がさがります。どうぞお身体に気をつけて頑張って下さい。
(山口県・横田さん/愛読者カードより)

○純粋に生きて
文面の一字一句がお母さんのご努力の素晴らしさ。またカットの良さ、上田豊治さんの根気と熱心さには思わず感動いたしました。
生活しにくい世の中ですが、こんなに純粋に生きていられる親、子さんには驚きと尊敬の念でいっぱいです。今後もお身体を大切に、ご発展をお祈りします。
(愛知県・井上さん/愛読者カードより)

○母親としての気持ちがわかります。
わが子は知的障害です。障害の内容は違いますが、母親としての気持ちはわかります。豊くん、頑張れ!
(山口県・三原さん/愛読者カードより)

○努力をおこたらないことが
自閉症の方がこんなに立派に成長されたお姿を拝見いたし、感動いたしました。何事も努力を怠らないようにすることが肝心なのだと思わされました。
(山口県・林さん/愛読者カードより)



           (東京・銀座4丁目/上田豊治作)

♪上田豊治プロフィール♪

1969年  4月28日、山口県萩市に生まれる。
1972年  3歳のとき、自閉症と診断される。
1985年  山口県立宇部養護学校高等部入学。
      3年生の時、授業で「切り絵」を教わる。
1990年  本格的に「切り絵」に取り組む。
1991年  萩市民館で三人展。
1992年  萩市・玉木ギャラリーで個展。
1993年  島根県益田市石見空港で個展。
1994年  大阪市立大学「ふくろう祭」にて個展。
      萩市・田町ジョイ201にて個展。
1995年  テレビ山口・電撃黒潮隊「平成の山下清切り絵が語る」出演。                 
      福岡市・NTTモアイベントゾーンで個展。
      大阪・大阪ガス本社パオテーク、大阪ガス千里生活誕生館等で個展。
      アトラス萩にて個展。
      NHK教育テレビ・あすの福祉「切り絵に夢を託して」出演。
1996年  テレビ東京「追跡!! テレビの主役」出演。
1997年  萩市民館にて個展。
      『上田豊治 切り絵の世界』刊行。
      東京・銀座三越にて個展。
1998年  札幌・横浜・松山の三越にて個展。
      山口・C.S赤レンガにて個展。
1999年  防府・アスピラートにて個展。
      広島・呉郵便局にて個展。
2001年  日本橋・三越本店、名古屋・三越にて個展。
2002年  アトリエ“とよの庵”開展。
      カナダ・トロントにて展示。
2006年  日本橋・三越本店にて個展。

■過去の主な受賞歴
「ザビエル記念聖堂」 1991年 山口県障害者希望芸術文化展 奨励賞受賞
「おしくらごう その1」1992年 萩市美術展 市教育委員会教育長賞受賞
「白魚とり」     1992年 山口県障害者希望芸術文化展 特別賞受賞
「おしくらごう その2」 1993年 山口県障害者希望芸術文化展 特別賞受賞
「ホルンフェルス」  1994年 萩市美術展 市教育委員会教育委員長賞受賞
「青海島」      1994年 山口県障害者希望芸術文化展 最優秀賞受賞
「ふれあいのとき」  1995年 萩市美術展 奨励賞受賞
「鍵曲り」      1995年 第一回山口県障害者芸術文化展 優秀賞受賞
「人力車」      1996年 第二回山口県障害者芸術文化展 優秀賞受賞
「西円寺」      1997年 第三回山口県障害者芸術文化展 優秀賞受賞
「一の坂川」     1998年 第四回山口県障害者芸術文化展 最優秀賞受賞(県知事賞)
「横浜中華街の夜」  1999年 萩市美術展 市教育委員会教育委員長賞受賞
「魚きらめく」    2001年 萩市美術展(第50回) 特別賞受賞  など


著者紹介 上田幸子
1943年、山口県萩市に生まれる。
1961年、山口県立萩高等学校卒業。津田公証役場に就職。白百合洋裁学院(夜学)に入学。
1965年、結婚、上田家へ。
1987年、共同作業所「香生工房」の設立に参加、ボランティアとして通う。池田建築設計事務所勤務。
1998年、同事務所退職。
2002年、アトリエ“とよの庵”開展。
現在、豊治の切り絵の個展等を手伝っている。

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