本文サンプル「さびしいときは心のかぜです」より

つい最近、ぼくはもう一つ、早春のよろこびを伝える詩歌を知った。原田大助という少年の詩である。中学三年生のときに書いたものだ。
 
  遠い道でもな
  大丈夫や
  一歩ずつや
  とちゅうに
  花もさいているし
  とりもなくし
  わらびかて
  とれるやろ

 大助君は石川県立錦城養護学校の生徒である。中学部に進んで山元加津子先生という先生に出会い、先生との会話のようにして詩を書きはじめた。その詩がいま一冊の本になっている(原田大助「さびしいときは心のかぜです」・樹心社刊行)。
 「遠い道でもな」の詩は、春の遠足のときにでも作られたのであろう。大丈夫や、一歩ずつや、とみずからをはげまし、行く道の途中のよろこびを描いている。鳥がなく、花が咲いている、おいしそうなわらびの若芽も出ている。
 この詩をゆっくりと口ずさんでみる。春の山辺の道を行くよろこびが、おのずと湧いてくる。志貴皇子の歌と共に、ぼくにはもう忘れられない詩になった。
 と同時に、大助君のこの詩に、ぼくは深く教えられている。ぼくは、あとどのくらいこの世に生きることを許されるか分からないけれども、この詩のように生きてゆきたいと思う。どこまでかは分からない道だが、「大丈夫や」「一歩ずつや」と、残りの生を歩みたいと思う。あせらず、あわてずに、その一歩ずつで出会う風景の一つ一つによろこびを与えられながら行きたい、と思う。
 大助君の詩からもう一編を。  
 
  さびしいときは
  心のかぜです。
  せきして、はなかんで
  やさしくして ねてたら
  1日でなおる
 
 はじめの2行が、詩集―手書きの詩と絵とで作られている―の題になっているのだが、この詩もまた、生きるものの深い知恵を語ってくれている。人生の終わり近く、このごろでは年々歳々、古くからの友を見送っている。 淋しい。これからもっと淋しくなることだろう。自分が先に逝かないかぎり、その淋しさは避けがたい。けれども、 そんな淋しさにとらえられたとき、ぼくは、大助君のすすめにしたがおうと思う。大助君の詩のユーモアにならって、心のかぜを治そうと思う。

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